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higashinihon.htm
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2011年(平成23年)3月11日午後2時46分 東日本大震災が発生。 東北地方の人間にとって一生涯の記憶から取り払うことのできない、甚大きわまりない被害をもたらした。その主たる被害が津波被害だった・・・。 今回の自然災害による被害の大きさは言葉では表せないくらいであり、素人の一個人の自分が活動できる余地はあるのか半信半疑であったが -あまりの被害の大きさにホームページに載せるべきかどうか迷いましたが、後世に残しておくべき負の遺産としてまとめることにしたものです- ※5月3日「アウトドア義援隊」の呼びかけで天童市で活動開始。 アウトドア義援隊とは、株式会社mont・bellの社長及び社員で構成するボランティア活動団体で、 天童市にある某電機会社の現在は使われていない工場跡を物資の集積基地として借用し、多くの自治体が拒んだ個人からの救援物資を全国のモンベル直営店が受け付け、 私と家族はその集積基地に入り、全国から届いた支援物資を全国から集まったボランティアと共に仕分け作業に入った。 当初は毛布や防寒衣料などが喜ばれたが、そのニーズも徐々に変化していき大規模な避難施設に比べて、孤立した住宅や小さな避難所には物資が届いていなかった。 この仕分け作業がなかなか大変な作業であり、用途・サイズ・要求地域等に分別し、適材適所に分業化したチームワークも必要とされた。遠くから来たボランティアは、倉庫の一角に準備されたテントに寝泊りしながら活動を続けていた。 ※11月5日「山形ボランティア隊」の活動に参加し石巻へ向かった。
地震発生から約8ケ月経過しているが、現地へ向かう車窓からの風景は何の復興も進んでおらず、道路はあちらこちらに亀裂や陥没があり波打った状態であり、がれきを積んだトラックが砂煙をあげて行き来している状態であった。中越沖地震の時は被災家屋の屋根にブルーシートが掛けられた状態が無数にあったが、今回はブルーシートの家屋は殆んどなく建物自体原型をとどめていなかった。その事だけでも今回の震災の内容が今までのものとは違っていることがうかがえた。
ミィーティングのあとグループごとに分かれ、被災者の要望に合わせた作業をすることとなる。
かなりハードな作業であったが、この家屋の住人(被害に遭わなかった二階部分に住んでいる)は「たばこを吸いながら子犬を抱っこし」作業指示を出すだけで高みの見物! 一切手伝おうともせず「私たちは被害者なのだ!」と言わんばかりの態度。グループのリーダーは「私たちはさせて頂いている」と平身低頭、これでいいのだろうか・・・? 住人は挙句の果て天井に括り付けてあるエアコン(業務用のでかい物)の取り外しを指示してきた。これは専門業者の仕事であり重量物で危険性もあることからお断りするようリーダーに申し述べた。 |