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          3.11 東日本大震災

   2011年(平成23年)3月11日午後2時46分 東日本大震災が発生。 

東北地方の人間にとって一生涯の記憶から取り払うことのできない、甚大きわまりない被害をもたらした。その主たる被害が津波被害だった・・・。

今回の自然災害による被害の大きさは言葉では表せないくらいであり、素人の一個人の自分が活動できる余地はあるのか半信半疑であったが
「何かできることはある筈」と災害復興ボランティアを実行することとした。

   -あまりの被害の大きさにホームページに載せるべきかどうか迷いましたが、後世に残しておくべき負の遺産としてまとめることにしたものです- 

 ※5月3日「アウトドア義援隊」の呼びかけで天童市で活動開始。 アウトドア義援隊とは、株式会社mont・bellの社長及び社員で構成するボランティア活動団体で、
16年前の阪神淡路大震災の際アウトドア用品やキャンプの経験を活かした支援活動が有効だったことから、今回もいち早く動き出した団体である。

天童市にある某電機会社の現在は使われていない工場跡を物資の集積基地として借用し、多くの自治体が拒んだ個人からの救援物資を全国のモンベル直営店が受け付け、
それらの心のこもった物資を天童市の後方支援基地に集め、そこから迅速に被災地に届けることにしたとのこと。

私と家族はその集積基地に入り、全国から届いた支援物資を全国から集まったボランティアと共に仕分け作業に入った。 当初は毛布や防寒衣料などが喜ばれたが、そのニーズも徐々に変化していき大規模な避難施設に比べて、孤立した住宅や小さな避難所には物資が届いていなかった。

この仕分け作業がなかなか大変な作業であり、用途・サイズ・要求地域等に分別し、適材適所に分業化したチームワークも必要とされた。遠くから来たボランティアは、倉庫の一角に準備されたテントに寝泊りしながら活動を続けていた。
 また、数多く集まった支援物資の中には心のこもった物ばかりではなく、使用不能な物や廃品回収施設と勘違いして送ってきたのでは?と思うような物もあり、人間には様々な人が居るものだと改めて感じた現場でもあった。

 ※11月5日「山形ボランティア隊」の活動に参加し石巻へ向かった。
    県庁裏のバス停留所に集合     この日初めて顔を合わす仲間に挨拶     現地拠点となっている元旅館に到着

 地震発生から約8ケ月経過しているが、現地へ向かう車窓からの風景は何の復興も進んでおらず、道路はあちらこちらに亀裂や陥没があり波打った状態であり、がれきを積んだトラックが砂煙をあげて行き来している状態であった。中越沖地震の時は被災家屋の屋根にブルーシートが掛けられた状態が無数にあったが、今回はブルーシートの家屋は殆んどなく建物自体原型をとどめていなかった。その事だけでも今回の震災の内容が今までのものとは違っていることがうかがえた。

  この地域も津波による甚大な被害を受けていた    この日集まった山形ボランティア隊の面々    当時の被災状況を語るこの旅館の社長さん
 

   ミィーティングのあとグループごとに分かれ、被災者の要望に合わせた作業をすることとなる。
 私たちは6人の小グループで、一階部分が津波により大破した店舗兼家屋の解体及びがれき処理をすることとなる。

  一階部分が津波被害を受けた店舗兼住宅 店舗部分の壁及び天井の撤去:破片は土のう袋に 天井裏にも泥が体積している状態 壁の裏にコウモリが
ガラス繊維のアスベストが舞い、体には非常に悪い がれき及び土のう袋の一時集積所(右側の一角部分)     ボランティア作業員の昼食風景

 かなりハードな作業であったが、この家屋の住人(被害に遭わなかった二階部分に住んでいる)は「たばこを吸いながら子犬を抱っこし」作業指示を出すだけで高みの見物! 一切手伝おうともせず「私たちは被害者なのだ!」と言わんばかりの態度。グループのリーダーは「私たちはさせて頂いている」と平身低頭、これでいいのだろうか・・・? 住人は挙句の果て天井に括り付けてあるエアコン(業務用のでかい物)の取り外しを指示してきた。これは専門業者の仕事であり重量物で危険性もあることからお断りするようリーダーに申し述べた。
 ここの住人に一言申しあげたい:掃き掃除や土のう袋の一輪車での搬出の手伝いぐらいはしてもバチは当たらないのではないか・・・  
私がこれまで行ってきたボランティア活動に疑問符が持ち上がってきた一日であり、いろいろな意味で中越沖地震の時とは違っている事を痛感し、後味の悪い残念な活動となってしまった。たまたま悪い住人に当たってしまっただけのことであればよいのだが・・・ アスベストを吸い込み肺の調子が悪くなり、今後の私自身のボランティア活動を考えさせられる出来事となってしまった。                       

                                                                     新潟県中越沖地震HOME